★二弁 e ニュース277号[2006/2/2]★
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【理事者室だより】
副会長フーフー日記(インフルエンザでダウン!の最中に高校野球に思いを馳せるの巻)
(副会長 伊東 卓)
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風邪をひいた。朝から体がだるくてどうもおかしいと思っていたら、案の定、夜になって高熱が出た。翌朝ふらふらしながら近くの医院で診察を受けると、マーカーにくっきりと赤いマークが出て、A型インフルエンザと診断された。注意していたのだが、前週から石和温泉、甲府、八王子と続いた近場出張シリーズによるちょっとした疲れをつかれ、見事に罹患してしまった。そのため、初めて会務を病欠した。
病状のほうはというと、タミフルなる特効薬を処方されたお陰で、1日で熱が下がった。しかし、同じ病に罹患した三宅副会長に聞いたところでは、タミフルは3日間服用を続けないと再発熱のおそれがあるとのことであり、それまでは治っていないということらしい。それにもかかわらず、事務所や役員室に出向くと、故意や重過失に問われるという物騒な噂も耳にしたので、出て行きたくても行けなくなった。
ということで土日を含め3日間の休暇をもらった格好になった。外出もできないので、自宅にこもって昨年撮りためたビデオを見返し始めた。いくつか見るうち、やはり母校の甲子園出場のビデオに釘付けになってしまった。そういえば、ちょうど昨年の今ごろセンバツ出場の決定があり、OBたちと大喜びしたことを昨日のことのように思い出した。
私はかつて甲子園を目指す高校球児だった。そういうと、人は今の体型を見て「ポジションはキャッチャー?」などと反応するが、そうではない。外野手だった。また、今の体型からは誰も信じないだろうが、中学ではバレーボールをやっていた。それまで野球は素人だったのだ。にもかかわらず、高校入学と同時に、中学時代の友人と一緒に無謀にも野球部に飛び込んだ。友人と二人で「甲子園に行こう!」と申しあわせたのだ。その友人は水泳部の主将だった。お互い無知とは恐ろしいものだ。
その野球部は甲子園出場経験を持っていた。練習は長くて厳しかった。入部した日から苦難の道が待っていた。昔のことだから、シゴキもあった。初めて手にする硬球は硬いし、重いし、速いし、痛い。いつになったら慣れるのだろうと思いながらも、やることといえば来る日も来る日もグラウンド整備ばかり。夜遅く帰宅してからは一人でバットスイング。何とかして追いつこうと必死だった。何百回と繰り返すうち、手には何重にもマメができた。マメの中にマメができるのだ。これは痛かった。何人もの仲間がグラウンドから遠ざかっていった。やがて、硬球にも長い練習にも慣れ、何とか続けられそうな気がしてきた。そして、いつしか憧れのユニフォームに袖を通すこととなり、最後にはレギュラーになってクリーンアップも打った。
しかし、そうやってそれなりに苦労はしていたものの、そのころ、自分達にとって甲子園は果てしなく遠かった。神奈川県だったので、桐蔭学園や横浜商業(Y校)、東海大相模や横浜とも対戦した。どうにもならない相手だとは思わなかったが、勝てなかった。おまけに1年生の時の3年生に原辰徳、3年生のときの1年生には愛甲猛というスーパースターまでいた。「甲子園に行こう!」との大志を抱いて始めてはみたが、甲子園に行けそうだと思ったことは一度もなかった。やがて、高3の夏の大会がやってきて、横浜スタジアムで東海大相模に破れ、現役を終えた。
結局、夢がかなうことはなかったが、高校野球をやってみて知ったことが三つある。一つは、世の中にはとてもかなわない才能の持主がいるということである。目の前で信じられないプレーを平然とやってのけた奴が何人かいた。自分にはそんなことはどう転んでもできないということがよくわかったし、そういった才能は高く評価されるべきだということも理解できるようになった。
二つめは、たとえ才能や業績では劣っていても、努力次第、相手次第では、勝ち負けはわからないということである。例えば、素晴らしい速球の持主でも、いろいろな選手がいる。コントロールやメンタル面に難がある、バント守備が苦手、牽制が下手、等等。だから、強敵でも攻略の糸口はどこかしらにある。ただし、何とか勝負に持ち込むためにはそれに応じた力をつける必要があるが、そこは工夫や準備、練習といった努力次第でなんとかなる。
三つめは、よく言われることだが、一人では到底できそうもないことが、チームが一丸となって取り組むとできてしまうことがあるということである。
現役も終わりに近づいてから、そんなことに気付くようになり、本当に真剣に追及していたら、もっといろいろなことができたのではないか、などという悔恨をこめた思いを抱くようになった。大学進学の際、司法試験の勉強をするなどと称していたため、大学では野球を続けなかったが、そんな思いから大学1、2年生のときには高校の学生コーチとして後輩の指導をした。しかし、それでも夢はかなわなかった。
夢を見て、もがいていたあの頃。その夢を受け継いだ後輩達が、長い時を越えて、昨年、その夢を実現してくれた。かかった時間は27年。甲子園出場(母校の名誉のため念のため申し上げるが、21世紀枠ではない)の知らせを聞いたときは、本当に嬉しかった。そして、甲子園に鳴り響く校歌の大合唱を聞いたときには、テレビの前で年甲斐もなく大声で号泣した(これには、家族も相当困ったようだ)。
甲子園が決まるや、OBにもいろいろと取材が舞い込み、私のところにも新聞記者が来た。しかし、「低迷期の代表」として取材したいと聞かされたときには、さすがにずっこけた。でも、気がつくと、記者を相手に上記のようなことを延々と話していた。最後に記者から「今、当時のことを振り返ってどう思うか?」と聞かれ、本心からこう答えた。「できることなら、もう一度高校生に戻ってみたい。そして真剣に限界まで自分の力を試してみたい。」と。
後輩達の甲子園での活躍をビデオで見ながら、思い続けたことはいつかは実現するんだと改めて思った。そして、もう40代半ばも過ぎたけれど、もう一度何か夢を持とう、とも思った。
夢はいつか実現する。しかし、すぐ実現するとは限らない。いつ実現するかもわからない。でも、やろうと思わなければ何も起こらない。あきらめたらすべてが終わる。思うことからすべてが始まる。人生の楽しみはそんなところにあるように思う。だから、こんな人生でも生きていけるのではないだろうか。
あきらめてはいけない「思い」は、弁護士会にもいくつかある。今で言えば、近いところで、共謀罪、ゲートキーパー、捜査の可視化、もう少し長めの問題で代用監獄廃止、裁判官増員、法曹一元といったあたりだろうか。ここで、改めてあきらめない決意を新たにすることとしよう。その思いはまた、次々と受け継がれて、いつか実現するであろうことを信じて。
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